【ブラジル】ラテンのコミュニケーション(後編)

VOICE (短期プログラム)

【ブラジル】ラテンのコミュニケーション(後編)

ブラジル・1ヶ月の体験談、後編です!

- 一番感動したことは何ですか?s-DSC00431

私が日本からボランティアで行ったことで、先生の一人が「原爆」を授業のテーマに取り上げてくれたことです。「世界の平和のために闘う子どもたち」という雑誌に、広島に原爆が落とされた時の佐々木貞子さんと千羽鶴の逸話が掲載されていて、それを高学年のクラスで紹介したいと提案された時、私はハッとしました。

その前にも、彼女のクラスで、日本のことを紹介させてもらい、地球儀や地図で日本の位置と大きさを確認したり、ブラジルと日本では、季節も昼夜も太陽の位置もすべて逆だということや、簡単な挨拶のことばを教えて、日本ではハグやキスをしないことを話したりしましたが、原爆や地震や原発事故のことを伝える発想が私にはなかったのです。私自身、彼女からとても大切なことを教えてもらいました。世界で唯一原爆が落とされた国、日本から来た私は、「平和」を伝えていかなければならない。また、地震が多い島国にも関わらず原子力発電所がいくつもあり、福島の原発事故の後、まだ解決できていないことがたくさんある事実。日本人として、世界に発信していかなければならない大切なことがあることに気づかされました。

彼女は、私が子どもたちのために用意していた折鶴を日の丸の周りに飾り、貞子の記事を子どもたちに読んで聞かせ、「平和」についての絵を描かせました。子どもたちは、平和の象徴として描いたハートや鳩の絵を私にプレゼントしてくれました。

- 一番悲しかったことは何ですか?

教育を受ける機会がない子どもたちを目の当たりにし、自分には為すすべがないと感じたことです。

施設では、午前の子どもには11時に、午後の子どもには13時過ぎに、almoço(アルモッソ)という昼食を食べさせますが、ボランティアを始めて3日目ぐらいに、11時と13時の2回とも、almoçoを食べている子どもが何人かいることに気がつきました。その子たちは、午前も午後も施設に通い、学校へは行っていないのでした。13歳になる一人の少女は一度s-IMG_1910174373105も学校へ行ったことがないということで、読み書きが十分にできない様子でした。彼女だけでなく、字や文章を書くことが苦手な子どもが多く、数を数えることや簡単な計算が難しい子どももいました。手芸や美術など何かを作るアクティビティでは、自分でやろうとしなかったり、集中力が続かない傾向がみてとれました。それでも、“Que bom!”とか“Que bonito!” “Que lindo!”と褒め続けると、最後までやり遂げることができ、「自分でできた!」と笑顔で喜びます。そんな姿をみると、教育を受ける機会さえあれば、この子たちも、本来持っている力を発揮し伸ばしていくことができるのにと思わずにはいられませんでした。

ステイ先では、夕食をとりながら、施設の子どもや保護者のことがよく話題にのぼり、少しですが、子どもたちの家庭環境を知ることができました。家では全く食事をとっていなかったり、親が刑務所に入っていたり、ドラッグ、アルコール、虐待・・・。教育を受けることができない背景には「貧困の連鎖」がありました。親自身が教育を受けた経験がないことが、子どもたちを学校へやらない原因のひとつになっています。学校へ行かない子どもたちは、仕事に就くことは難しく、10代半ばで子どもを産み、親になります。

このような背景をもつ子どもたちが教育を受けることができるようにするために、自分にできることは何もないと感じたとき、とても悲しい気持ちになりました。

また、私自身、これまで「世界には教育を受けることができない子どもがいる」という現実を知識としては知っていても、実態としては全く意識することなく、日本の狭い社会の中だけで考え、価値観を持ち、基準を作っていることに気づかされました。

- トラブルはありましたか?どうやって解決しましたか?

夕方のお茶の時に、パンのおかわりの個数が決まっていたのに、“Mais!(もっと!)”の声に押されて、うっかり何人かの子どもに決められた数より多く配ってしまい、大騒ぎになってしまいました。後で、先生方に謝りました。

- 現地のICYEスタッフはどんな感じでしたか?

ICYEブラジルのスタッフのダニーラはイタリア人で、とても明るく、よく話す人でした。現地に着いてすぐのオリエンテーションで、休日の過ごし方のアドバイスもしてもらいました。s-DSC00255

現地に入って最初の日曜日が、月に一度ボランティアが集まる日で、ホスト家庭でシュハスコパーティが開かれました。まだ慣れない私のために、他の人たちに紹介してくれたり、何かと気を遣ってもらい、ダニーラには大変お世話になりました。

- プログラムに参加する前と後で、自分自身が変わったなと思うところはありますか?

毎日の生活が楽しくなりました。安全できれいな日本で生活できる有難さもありますし、ブラジル人の陽気さと寛容を体験して、それが少し身についた感じもあります。そして、日本に住むブラジルの人たちのことを、以前よりも理解できるようになったと思います。

- 日本に戻って来て、“逆カルチャーショック”を感じたところはありますか?

一カ月という短い間でしたので、それほど驚くことはありませんでしたが、日本の秋のしっとりとした感じと紅葉を美しく思いました。

あと、空港で、迎えに来てくれた夫に会った時に、ハグをしたくなる気持ちを抑えるのが大変でした。このことを日本人の友人に話すと笑い話になるのですが、ブラジル人の友達に話したら「えー、ハグしなかったのー!?」と真剣に驚かれてしまいました。

- 最後に一言!

このプログラムに参加して、今後の自分の方向性が定まったと思います。

貧困の負の連鎖を断ち切り、全ての子どもたちが自分らしく生きていくためには、子どもたちへの「教育」しかないと強く思います。

シスターたちをはじめ、施設のスタッフたちは、日々、子どもたちに寄り添い、世話をし、愛情を持って育てていました。子どもだけでなく、貧困、ドラッグ、アルコールの問題を抱える親と向き合い、ファベーラの中で踏ん張っている姿に感銘を受けました。私はたった3週間半でしたが、貧困地域で生活をすることは精神的にとてもハードです。実際、滞在中、施設の先生が一人辞めていきました。そんな中、何年もこのプロジェクトをやり続けている人たちがいるということに感動しました。

自分にできることはささやかかもしれないけれども、子どもの学習支援、子どもを育てる親への支援を、私も日本でやっていこうと、勇気と力をもらうことができました。世界中の子どもたちが飢えることなく、誰もが教育を受けることができるようになるまでには、まだまだ長い時間がかかることでしょう。日本でも「子どもの貧困」と「貧困による教育の格差」が問題になってきています。たとえ小さいことでも、自分の周りの子どもたちの教育環境をよりよくするための活動を続けていこうと、今回のプログラムを終えて決心しました。私の心の中には、ポルトアレグレのファベーラで頑張っているみんながいます。今、彼らが私の心の支えになって、前へ進む力を与えてくれています。

これから行く人へのメッセージの代わりに、私が心がけたことを紹介させてもらいます。ステイ先やボランティア先で出会う人と関係性を築くために、自分から声をかける、褒める、名前を呼んで挨拶をする、自分の気持ちをきちんと伝える(感謝、謝罪)、間違うことを恐れずに自ら行動する。私自身は、これらのことを心がけて上手くいくこともあったし、できなくて反省することもありました。特にみんなの名前を覚えるのはなかなか大変でしたが、「私はまだできる、明日はもっと頑張ろう」という気持ちを、毎日、持ち続けるようにしました。

ことばの習得も同じで、間違うことを恐れずに、キャッチした音をいろいろ試しに使ってみました。発音が可笑しいと子どもたちにからかわれることもありましたが、教えてもらう態度を見せると、子どもたちは意外と根気よく繰り返し発音を教えてくれて、それがきっかけで仲良くなれたりもしました。

まだまだ語りつくせませんが、全てをひっくるめて「あーーーっ、楽しかった!」の一言です。関係者の皆様、お世話になりありがとうございました。

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