【ブラジル】ラテンのコミュニケーション(前編)

VOICE (短期プログラム)

【ブラジル】ラテンのコミュニケーション(前編)

- ボランティアをした国と期間を教えてください。また、どこの地域でどんなことをしましたか?

国:ブラジル、1ヶ月。
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地域: Rio Grande do Sul州(ブラジル南部)の州都、ポルトアレグレ

内容: 貧困地域にあるCasa Madre Giovannaという子どものための施設で、子どもたちの世話をするボランティアをしました。子どもたちと一緒に遊んだり、日本の遊びを教えたり、授業の中で日本の紹介もさせてもらいました。その他、食事の手伝いや片付けもしました。

- なぜその国を選びましたか?

・ 私が住んでいる静岡県磐田市には約3,500人のブラジル人が住んでおり、日系ブラジル人の友だちも多く、自分にとって身近な国だったから。

・ 磐田国際交流協会の仕事として、「外国人相談」や「子育て支援」などの外国人支援事業や、日本語教育事業、外国につながる子どもたちの学習支援をしていて、日本人との違いを感じることが多々あったので、ブラジルコミュニティーにどっぷりつかり、彼らの考え方のベースになっている生活を体験し、同時にブラジル人のコミュニケーションの取り方を身につけたいと思ったから。

・  地球の反対側の遠い国だから。

- 実際に行ってみてどうでしたか?

ICYEブラジルがあるポルトアレグレは、ヨーロッパからの移民が多く、日系人はほとんどいない地域で、むしろウルグアイとの文化的、人的交流が盛んでした。カトリックのシスター4人と一緒に生活させてもらいましたが、4人のシスターのうち、3人がウルグアイ出身で、ブラジル人は1人だけでした。

s-DSC00053シスターたちは仕事や宗教的活動でとても忙しい生活を送っていましたが、そんな中、私を大変温かく私を迎え入れてくださり、心から感謝しています。生活は規則正しく、住環境も清潔でセンスがよく、シンプルかつ合理的で快適に過ごすことができました。

ポルトガル語もスペイン語も少ししか話せない私ですが、私の話に耳を傾けて理解しようとしてくださったり、根気よくポルトガル語で説明してくださったおかげで、少しずつ日常会話でよく使われるフレーズや語彙を増やすことができました。

ステイ先も、ボランティアをした施設も、ファベーラと呼ばれる貧困地域にありました。ファベーラの中で生活し、ファベーラの中を歩いて通うなんて、ブラジル人でもなかなかできる経験ではありません。もちろん初めのうちは不安もあり、シスターと一緒に施設に通っていました。急な坂が多く、舗装もきちんと整備されていない道にはごみがたくさん落ちていて、なぜか犬がたくさんいて、昼間から老若男女が道端でくつろいでいました。シスターがするのを真似て“Boa tarde!”とか“Oi!”とか“Tudo bem?”などと挨拶しながら歩きます。施設の子どもたちに会うこともあり、そんな時はお互いに妙に嬉しくてabraço(ハグ)とbeijo(キス)をします。

このようにして、そこの住人として暮らすことで不安は薄れ、10日過ぎたあたりからは一人で歩いて行き来することができるようになりました。朝、初めて一人で施設に行ったときには、“Sozinha!(一人で!)”とみんなが褒めてくれて“Brasileira!”と言ってもらえました。

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施設では、初日に門を入ると、遊んでいた子どもたちが駆け寄ってきてabraçoとbeijoの嵐。人懐っこくてなんてかわいい!と緊張も解けました。学校が午前か午後の半日しかないので、子どもたちは学校に行かない半日を施設で過ごします。施設では、子どもたちに食事を与え、様々なアクティビティをします。私も折り紙をしたり、日本から持って行った絵本の読み聞かせをしたりしました。絵本は、予め、日本で日系ブラジル人の友達にポルトガルに翻訳してもらったものを用意し、私は日本語や英語で読み、施設の先生にポルトガル語で読んでもらいました。日本の遊びで子どもたちに人気だったのは、「あやとり」。「腕抜き」や「指ぬき」をしてみせると“mágica! mágica!(マジック!)”と大喜びで、ステイしている間に、何人もの子どもがやり方を覚えてやって見せてくれたのが嬉しかったです。その他には、「一本橋こーちょこちょ」の手遊びも大変受けました。施設で一番の問題児と言われていた男の子も、この手遊びが大好きで、何度も何度も繰り返して遊びました。

そんなかわいい子どもたちですが、ほとんどの子どもがファベーラで暮らし、家庭環境は厳しい状況でした。そして、月曜日の朝は子どもたちの数が少ない!これは日本の外国の子どもたちと同じ現象で、面白かったです。

- 街の様子はどのように感じましたか?

ブラジルは多様な国というのが第一の印象です。空港では様々な顔の人がいて、様々な肌の色の人がいて、様々な服装をしていて、ポルトガル語を話すまで、どこの国の人かさっぱり分かりません。でもほとんどの人がポルトガル語を話すブラジル人で、その多様性に圧倒される思いでした。

ブラジル人の印象は、親切で明るく、誰とでもすぐに友達のようにおしゃべりができる感じです。バスに乗って、降りるところが分からなかった時、近くの人や車掌さんに聞くと、誰もが親身になって教えてくれました。また、違うことに対して、とても心が広く、寛容だと感じました。言葉が分からない日本人の私に対しても、子どもから大人まで、誰もが心を開いて親切に接してくれました。施設には足が不自由な男の子と障害を持った女の子がいましたが、特別扱いや排除する雰囲気はなく、子どもも大人もごく普通に接していましたし、街の中やバスの中でも、目や足が不自由な人をよく見かけました。逆に、このように多様で、違いに対して寛容な社会から日本に来たブラジル人は、日本で寂しい思いをしたことだろうと想像しました。

コミュニケーションの取り方も日本とは随分違います。朝会った時はabraçoとbeijoで“Bom dia!Tudo bem?”、別れる時は“Até amanhã!”、チャオ!とやはりabraçoとbeijoで一人一人に挨拶をします。男女関係なくするハグとキスは、初めのうちこそ違和感がありましたが、慣れてくると、うっかり挨拶し忘れた時は気持ちが悪く、ハグとキスをしないでどうやって心を通わせることができるのだろうと不思議に思うほどでした。

コミュニケーションの違いは、挨拶だけでなく、自分の意見や考えをはっきり言うことが求められる点も大きく違います。誰かが話すのを理解しようと一生懸命聞いていたら、「それであなたはどう思う?」と意見を求められることがよくありました。ポルトガル語を聞き取って、話の内容を把握するのに必死で、正直、自分の考えどころではなかったのですが、多様性の社会ですから、きちんと自分の考えを話せないと、かえってわけのわからない変な人になってしまうようです。語弊があるかもしれませんが、同じであることで安心感が得られたり、暗黙の了解が通用する日本とは全く違う世界です。違っていていいし、違っていて当たり前。だから、自分の考えはちゃんと言葉で主張する。そういう社会なのだなと感じました。

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食べ物は最高に美味しかったです。ステイ先では、シスターが交代で食事を作っていました。土曜日は朝から半日かけてご馳走を作ります。果物のジュースからメインのお肉料理、サラダ、パン、デザートまで全て手作りで、素晴らしかったです。平日の朝食は、ブラジルフランスパンが美味しくて、昼食は施設でいただき、日替わりで具が変わるフェジョンを主食に、いくつかのおかずとサラダ、そしてやはり手作りのデザート。最終日には、私の好物を並べてくれて感激しました。

ポルトアレグレは、ブラジルのバーベキュー、シュハスコの発祥の地でもあり、お肉が安くて美味しいです。また、ひょうたんで作った独特の茶器で飲むシマホン(マテ茶)も日常的に飲まれていました。

交通機関は町の中心部に行く路線バスをよく利用しました。2レアル95セント。バス停に時刻表はなく、停留所名も掲示してありません。バスを降りる時にはブザーを鳴らしますが、次のバス停のアナウンスも表示もなく、私は景色で判断するか、人に聞くかしていました。不便だけど、ある意味、人と関わる機会にもなってドキドキ楽しかったです。

施設の子どもたちと一緒に街に出かける時にも、路線バスを利用しました。市街に入る手前で、暗い高架下を通るのですが、そこに突入すると「わーーーーっ!」と子どもたちが両手を挙げながら歓声を上げるのが恒例になっていて、公共機関でいいの!?と驚きましたが、他の乗客も苦情を言うこともなく、微笑ましく見ている様子で、子どもに対しても寛容なんだなぁと思い、嬉しくなりました。ブラジル人は子どもと犬などの動物が大好きなようです。

~~~ 後編につづく ~~~

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