【フィリピン】一番苦しくて難しくて、でも一番楽しくてやりがいのあるもの

VOICE (長期プログラム)

【フィリピン】一番苦しくて難しくて、でも一番楽しくてやりがいのあるもの

小林 芙悠子 さん  フィリピン派遣(2015年8月~2016年2月)

 

■ 出発前の職業は?また、なぜその国を選んだのですか?

大学生です。3年生が終わったあとに、休学してフィリピンに行きました。この国を選んだ理由は、フィリピンが私に、海外について興味を持つきっかけを与えてくれた最初の国だからです。小学生の時に、フィリピンのストレートチルドレンを特集したテレビ番組を観て、とても衝撃を受けました。その時から、国際協力の舞台で将来仕事がしたいと思うようになりました。ですので、長期ボランティアをするなら、絶対にフィリピンがいいと思っていました。テレビで見た世界を、実際に自分の五感で確かめたいと思いました。

出会ったたくさんの人たち

■ 実際に行ってみてどうでしたか?

自然が豊かで、とても素敵なところでした。海も星空もすごく綺麗です。あとは、街の雰囲気はのんびりしていて、プレッシャーがないというか、人々はのびのび楽しく暮らしていました。フィリピンの人は優しくて、笑顔がとっても素敵です。近所同士みんなで助け合って生きています。人とのつながりがとても強いです。知らない人同士でも世間話したりしていて、いいなあ、と思う場面がたくさんありました。生活基準も日本に比べれば高くないですが、「心の豊かさ」はフィリピンの方が日本よりも豊かです。

後は、テレビや本で見る通り、ストリートチルドレンやスラム街も日常から目の届くところに存在していました。貧富の差が本当に激しい国でした。モダンなデザインの建物も綺麗なお店もありますし、観光地のリゾートも立派で、十分楽しくて、生活に困ることはありませんでしたが、建物の周りはゴミが落ちているとか、物乞いの人がいるとかで、それをより綺麗に保つための周りの配慮が足りておらず、もっと国全体が良くなるためには惜しいなあ、と思いました。そんな面白い国でした。

 

■ 滞在形態はどんなでしたか。

お世話になっていたプロジェクト先の寮に滞在していました。私の他にドイツから来たボランティア2人(男の子と女の子)と、スタッフと一緒に生活していました。

 

■ ボランティア活動内容はどんなことでしたか。

「Sacada Youth Lead」(フィリピンの教育開発NGOです)という私のプロジェクト先は、青年(小学校から高校)を対象に、リーダーシップスキル育成のセミナーをフィリピン各地で行っています。セミナーのアシスタント、資料の準備、マーケティングなど、セミナーに関わることは何でもしていました。あとは、セミナーで日本の教育制度、文化などのプレゼンテーションを依頼されて参加者の前で話すこともありました。日本のプレゼンテーション

もう一つは、私のNGOが経営するハイスクールです。私は、日本語の授業を担当していました。あとは、放課後にバレーボールを教えたり、ドイツ人ボランティアの子と一緒に演劇プロジェクトを立ち上げて、みんなで一緒に舞台を作る、といったこともしました。

NGOの規模は、正規スタッフの数は少ないですが、セミナーをフィリピン中で行ったり、海外の学校とも提携しているほどの歴史あり実績ありのNGOです。セミナーは平均400人前後の学生や先生が集まるので、規模は大きめです。しかし、経営しているハイスクールの規模は小さく、高校7年生から10年生までで全校生徒は51人です。日々のルーティーンワークはなく、自分から何かやることはあるかスタッフの人に聞くことでその日の仕事内容が決まるという具合でした。自分から積極的に動かないと何も始まらない、という環境でした。逆に、自分がやりたいと思ったことがあればフレキシブルに対応して、やらせてくれました。最初はこのスタイルに戸惑いましたが、この方がボランティアらしくて、自分が成長するための環境としては良かったと思います。

 

■ 基本的なスケジュールを教えてください(1週間&1日)

<1週間>

学校&

オフィス

学校&

オフィス

学校&

オフィス

学校&

オフィス

セミナー

セミナー

セミナー

 *セミナーがないときは、土日はお休みです。

<1日>

7時

8時

9時

12時

17時

19時

20時

22時

起床・朝食

出勤

授業、セミナーの準備、ミーティングなど

昼食

勤務終了

夕食、シャワー

団欒、自由時間

就寝

 

■ 一番良かったこと、感動したことはなんですか。日本に取り入れたい習慣なども、あれば教えてください。

「一番」をつけるのが難しいほど、たくさん貴重な経験をさせていただきました。リーダーシップ育成セミナーでは、数百人の参加者を5人ほどのファシリテーターでまとめ、進めていくので、体力もいりますし、何よりチームワークが大切になります。国籍の異なるメンバーとチームを組み、大きなイベントを成功させ、成し遂げるという経験は、まさに感動経験でした。参加者の人から、楽しかった、ありがとう、と言ってもらえた時はととても嬉しかったです。セミナー関連で、国際会議がシンガポールで開催されたのですが、それにも同行させてもらえ、とても勉強になりました。まさかフィリピンに来て、海外に行けるとは思っていなかったので、ラッキーでした。

あと、個人的にすごく勉強にもなり、感動した経験があります。ドイツ人ボランティアの子と一緒にした演劇プロジェクトです。最初はたまたま、それぞれの国で演劇経験があったので、やってみよう、という軽いノリで始まりました。9,10年生を対象に教えることになり、最終目標は、近所の小学生や保護者を招待して発表会を開催することでした。しかし、いざ始めてみると困難の連続でした。「演劇」をするのは勿論みんな初めてだったので、セリフを覚える大切さも、繰り返し練習する大切さもわからないままでした。小さなことから全てを教えなければなりませんでした。フィリピンの人たちは、いつものんびりしていて、時間もルーズだし、自分の好きなことにしか真面目に取り組まない傾向があるので、発表会までのスケジュールを作ってそれに沿うように伝えても、締切は守らない、セリフは覚えてこない、練習には遅れる、というような状況でした。本格的な舞台やライト、音響設備も整っていなかったので、より工夫が必要でした。モノも十分にないし、役者である生徒たちがは真剣に取り組んでくれない、そんな状況は正直投げ出したかったです。大変だったドラマクラス

みんなやりたくないのかな、私たちがただ強制しているだけじゃないか・・・とも思いました。日本人の感覚で物事を進めようとすると何ひとつうまくいかなかったです。外国にいるなら当たり前だろ、と思われるでしょうが、実際に活動していると、現地の人と完璧に同じ感覚で活動するのは決して容易ではありません。日本人はフィリピン人にはなれないし、フィリピン人は日本人にはなれないのです。誰が悪いとかではなく、外国人である私が、フィリピン人の価値観や生活スタイルにもっと向き合っていかなければ、この演劇プロジェクトの成功はないと気づきました。自分の価値観と比べてばかりで自分だけが辛くなるばかりでした。でもよく考えてみると、練習はみんな楽しそうにやっていたし、他の先生も発表会に協力的だったので、練習時間を多めにくれたり、遅くまで学校に残って練習する許可も出してくれました。自分の価値観が合わないことばかり悩んでいたけど、みんなプロジェクト自体は受け入れてくれていました。そんなこんなで葛藤しながらも、結局、全ての準備が整ったのは本番先日でした。案の定、当日も舞台に出る予定の一部の子が遅刻したり、電気が止まったりで、直前まで生きた心地がしませんでした。フィリピン人は最後までフィリピン人でした。(笑) でも、本番は大成功で、学校中が大盛り上がりで、みんなが笑顔でした。すべてが終わった瞬間、達成感と周りへの感謝の気持ちでいっぱいになりました。このプロジェクトを通して、異文化、異なる価値観を受け入れて理解することの難しさと、フィリピンの人々の優しさ、あたたかさを感じることができました。生徒や先生との距離も一気に近くなって、滞在中に一番大変で、一番感動して、一番楽しかった経験でした。

 

■ 一番大変だったこと、悲しかったことはなんですか。恋しくなった日本のものなどもあれば教えてください。

辛かったことは、時間についてと、働くことについての考え方が日本と全く違うことでした。決められた時間には来ない、且つそれを悪いことだと思っていないのです。セミナーを開催しても大抵予定の1時間後に始まります。参加者も30分くらい遅れて来ます。自分たちでスケジュールを作っているくせに、です。日本人の感覚だと、5分前行動が基本ですが、そんなことしたら、待たせられるばかりで、こっちがバカみたいに思えてしまうほどでした。(笑)

 

学校でもチャイムがなく、生徒に「授業はじめるよー。」と声をかけないといつまでも教室に来ません。やる気ないんかよ、って何度も思いました。声をかけるのも、一回で済まないし、勿論時間通りには始まらないので、個人的にすごくストレスでした。フィリピンのスタイルだから気にしてもしょうがない、と言い聞かせても、20年も日本で生きている身からするとどうしても気になってしまいます。時間割はあるのですが、全員の生徒が把握している訳ではなくて、やる気のある子は自分で管理できるけど、そうでない子は、他の人に言われてやっと授業を受ける、といった状況でした。

お箸でチームビルディング先生も先生で、仮に病気で学校を休むなら、自分の授業は自習させるとか、他の先生に埋め合わせを頼む、とか日本はマストですが、そういうことは一切せず、誰にも連絡せずに休んでしまいます。責任を全うするとか、生徒のケアを親身になってする、ということはあまりしていませんでした。基本、日本人の価値観で見ていると、働く、とか学校に行くとかのモチベーションが無いように見えます。NGOの特色として、リーダーシップスキルの育成をしたり、普通の学校に行けるほどのお金のない貧困層の子たちを支援するために建てた学校(私立学校ですが、公立学校に比べて学費は安くなっています)なのに、カリキュラムも人の動きも機能していないので、本来生徒が持っている「教育を受ける権利」を台無しにしてしまっているのではないか、と思ってしまう程でした。

NGOのコンセプトやセミナーの内容はとても素晴らしいのですが、一番身近にある「学校」はでそうでなくて、かなりショックでした。私が上記のような印象を先生に伝えても、「これは私の管轄じゃないし」「昔はよかったけど、今は生徒の質が悪いから」と言うばかりで、改善しようとか、そういうモチベーションがあまりなかったです。ある先生はすごく頑張っていたのですが、他の先生が協力的ではなかったので、効果はあまり出ていませんでした。これが、フィリピンの教育現場の現実でした。半年間、ずっとこの学校のために何とかしたいと思っていたのですが、大きな変化を生み出すような改革はできませんでした。しかし、日本人ボランティアとして自分のできることは最後までやり抜きたかったので、生徒に少しでも学校で充実した時間を過ごせるように、日本語のクラスでは、準備から全力でやり、言語習得だけでなく、フィリピンにはない文化や価値観を共有して、やる気のないフィリピン人の先生より中身のある授業にしてやる、と勝手に思って(笑)全力で取り組みました。私が帰国すれば日本語の授業は終了なので、学校が良くなるための、目に見える大きな改善にはならなかったと思います。しかし、一人でも多くの生徒や先生が、私との時間や思い出を、いい形で将来に繋げてくれたら嬉しいです。

日本の恋しかったものは、日本酒と焼酎と、あったかいお風呂です。フィリピンは水シャワーだったのでお湯が恋しかったです。常夏の国なので、水シャワーでも平気なのですが、帰国して半年ぶりの湯船に浸かるバスタイムは、至福のひとときでした。あと、焼酎のお湯割りを飲んだ時も、ほっとして幸せな気持ちになりました。

 

■ 得たと思うものはなんですか。ありったけ答えてください。

忍耐力、フレキシブルさ、人との壁を作らず、どんな人でも受け入れてオープンになることの大切さ。自分から行動する積極性と自主性。

 

■ 日本に戻って来て、“逆カルチャーショック”を感じたところはありますか?

“ショック”ではありませんが、日本は本当に綺麗で便利な国です。時間管理はきちんとしているし、人は一生懸命働きます。そんなところに快適さを感じる自分がいました。でも、知らない人とは挨拶もアイコンタクトもとらないような社会の雰囲気はすごくさみしいなあと思いました。あとは、多くの人が常に人の目を気にしすぎている(髪型や服装など)のも、フィリピンとは違っていたので少し気になりました。日本を離れて気づいた、日本のいいところもも沢山あるし、フィリピンの文化から学んだ、日本にはない素敵なところも、両方あります。

 

■ プログラムに参加する前と後で、自分自身が変わったなと思うところはありますか?

急なスケジュール変更などの、予想外の出来事に柔軟に対応できるようになったかと思います。あとは、うまくいかないことがあったり、失敗しても、「まあいっか、大丈夫」とポジティブに乗り切れるようになりました。元々そんなにネガティブではなかったのですが、なんでも真剣に捉えすぎて深く考えすぎてしまうタイプだったので、程よく楽観的に物事を捉えられるようになれたかと思います。

 

■ 最後に一言!

 悔いはなし!ボランティアとして海外に行くのは旅や留学と違い、一番苦しくて難しくて、でも一番楽しくてやりがいのあるものだと思います。異国の地でボランティアとして現地の人のために貢献するのは、イメージは良いですが、実際に実現するとなると、とてもハードなことです。渡航前は、国際支援・協力に興味があったので、フィリピンで出会う人のために何かしたい、と意気込んでいました。しかし実際にフィリピンに来てみると、そんなプロみたいな一人前のことを考えるよりも、一日一日を乗り切るだけで必死でした。最初は現地の生活に慣れて、国籍の異なる人々と人間関係を一から築いて、慣れてきたと思ったら既に滞在の半分が過ぎていて、フィリピンの慣習や文化が分かってきて、人との信頼関係も深まり、ようやく何かインパクトを残せる位のことをやれる余裕ができた時には、もう帰国の時期になっていました。その位、「現地の人と同じ目線になる」とか「国の文化や国柄を尊重する」といった、良く耳にするボランティアの掟みたいなことを実行できるのは相当の時間がかかりますし、難しかったです。私がボランティアを通して誰かのために貢献する以上に、私自身がフィリピンの人に受け入れてもらい、助けてもらうことの方が多かったです。

上述したように、自分がフィリピンの人に何かを与えることばかり考えていましたが、気付いたら、そんなことを考えるよりも、純粋に一緒に笑い、楽しみ、大変なことを乗り越えて、とにかく現地の人と一緒に喜怒哀楽も時間も共にしていました。そこで気づいたのは、ボランティアで来た外国人(派遣生)も、それを受け入れるホストプロジェクトも「共に学び合い、時間を共にする」姿勢を大切にすれば、それで十分であるということです。特に、先進国と途上国との間ではそういった姿勢を持つべきだと思います。私はフィリピンでの経験を通して、「先進国と途上国」「支援」といった、きっぱりと両者を区別するような言葉は国際社会において必要ないと思いました。お互いの関係の中で教えられること、学べることが必ずあると思うからです。

一生の仲間これからICYEのプログラムに参加される方へ。私はフィリピンの現実も、自分の苦い経験も良かった経験も赤裸々に綴ったので、少しハードルが高いように聞こえてしまったかもしれません。しかし、私は勇気を出して参加したからこそ、出会えた人、経験、学びがあります。ですので、参加してプログラムを全うすることに一番意味があると思います。最初からボランティアや異文化理解を分かりきっている人は滅多にいないと思うので、心配しなくても大丈夫です。あまり気合いを入れすぎず、でも人への思いやりと、どんなことも貴重な経験と学びになる、という前向きな気持ちを持って日本を飛び出してほしいと思います。

行く前は不安と緊張で涙もろくなっていた私が、帰国する時には、現地で出会った人とのお別れが辛すぎて涙もろくなっていました。その位、最高に素晴らしい経験ができました。これからは、フィリピンで出会った人とのつながりを継続しつつ、自分の生まれ育った国である日本と、第二の家族と故郷があるフィリピンの両国が更に良い国家になり、私の周りにいる人みんなが幸せになれるように貢献していける人になりたいと思います。

長くなりましたが、ここまで読んでくださってありがとうございました。

 

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