今だから思う、あの一年⑨(ケニア)

VOICE (長期プログラム)

今だから思う、あの一年⑨(ケニア)

原山 浩輔 さん(2006-2007 ケニア派遣)

 

■ 行く前に考えていた、ICYEのプログラムに対する期待や不安、参加動機などを教えてください

会話はいつもケニア手話

会話はいつもケニア手話

 最大の動機は「教室に籠ることなく、自分の想像の及ばない生活に飛び込みたい。」と自分自身に対してショック療法的な変化を与えたいと考えたからだったと思います。当時、目的を持てずに大学に進学していたこともあり、在学1年を過ぎた頃から自分の時間を無駄に費やしているように感じ始めていました。その後、大学生活に価値を付けたいと考えるようになり、周囲の友人と話している中で留学が想像よりも随分と身近にあることを知り、「どうせなら大きく変化させよう」と留学に向けて具体的に行動し始めました。大人しく学ぶことのできない自分には教室で学ぶような留学は不向きだろうと思い、行動的な機会を探していたところにたまたまICYEの募集ポスターに出会いました。そのとき、衝動的に「これだ」と感じ、その日のうちに申し込みか問い合わせをしていたと思います。

そんな経緯でプログラムに参加しようとしていたため、派遣国の選定についても南米とアフリカの2大陸に絞り、最終的には鉛筆を転がして決めました。結果、最初にポイントされたのがケニアでしたので、第1希望をケニア、第2〜3希望は自動的に隣国にしました。

自分の知らない場所へ行って、知らない言語を習得して、使用して、経験したことのない生活習慣の中で1年を過ごすと自分はどう変化するのだろうという好奇心でいっぱいになりました。現地に自分はどこまで適応できるのだろうという不安もありましたが、いつも「時間は勝手に過ぎるから」と言い聞かせ、適応できようができまいが、少なくとも1年は粘ろうと考えることにしました。大学は自分で選んで、決めることができなかったけれど、この1年間だけは自分で決めたのだから「最後までやりきる」を最大の目標に出発しました。その過程で起こる自分の変化を受け入れようと。

 

■ 派遣国で何を見つけましたか?

帰ることを諦めさせる広大さ

帰ることを諦めさせる広大さ

帰国後の人生の礎のすべてをケニアで得られたように感じています。21歳で渡航して、22歳で帰国したときには「この道で生きていこう」と腹をくくっていました。それが今の仕事になっています。

滞在中は障害児が学ぶ小学校でボランティアをしていました。彼らとの生活の中で学んだこと、疑問や問題に感じたことを下に、日本や途上国の社会を変えるNGOに勤務しています。

帰国後、現在の上司に初めて会ったとき、帰り際に「いい障害者の下で育てられたな」と言われたときは最高に嬉しかったです。ケニアでお世話になった人が植え付けてくれた種を、今は職場の先輩方からたっぷり水と栄養をもらって育てて、大きな実りを還元することが自分の使命だと思っています。

近所のマサイ

近所のマサイ

 

■ ICYEの経験は、今の生活に活きていますか?

未だにケニアに必死に適応しようとたどり着いた価値観が抜けずに生活しています。「うまくいくのはたまたま手続きがうまく運んだから、うまくいかないのが当たり前」と思って生活しています。

ケニアのろう者生計調査に再訪

ケニアのろう者生計調査に再訪

現地でお世話になった方々にもっとも感謝しているのは「どんな場所、どんな状況の中にも幸せがある」ということを教えてもらえたことです。それを見つけられる目を養うだけで人生はずいぶんと幸福になるということも。1年間の生活はなかなか苦しかったですが、しっかりと幸せを感じながら過ごすことができました。今でも「幸福は毎日右肩上がり」をモットーに生活しています。

 

■ 昔の自分にアドバイスするなら…?

帰国後の自分のビジョンに目が眩んで、目先の不安が見えなくなるほどに期待を膨らませましょう。

 

 

「今だから思う、あの一年」バックナンバーはこちら

第一弾・フィンランド、第二弾・アメリカ、第三弾・ケニア、第4弾・コスタリカ、第5弾・モロッコ、第6弾・フィンランド、第7弾・インド、第8弾・ドイツ

 

 

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