今だから思う、あの一年⑧(ドイツ)

VOICE (長期プログラム)

今だから思う、あの一年⑧(ドイツ)

脊尾篤弥さん(1992-1993 ドイツ派遣)

 

1.行く前は、どんなことを考えていましたか

「ワンランク上の自分になってやろう」と、漠然としか考えていませんでした。外国でひとりで1年間過ごすというのが、どういうものか想像できなかったので「とりあえず行ってみて、あとはそれから考える」という感じでした。

そもそも、僕はたまたま学校の廊下に貼ってあった「東京都が全額費用負担! オーストラリアホームステイ2週間」というプログラムに旅行気分で応募しようとしたら、2週間用の応募用紙がもうなくなっていて、なし崩し的に「ホームステイ1年間」に応募することになり、その最終試験まで行ったところで不合格になったら、「1年間外国に行く!」と高まっていた気持ちを持て余してしまい、その時期にたまたま募集をしていたICYEに応募してみた。というだけなので、よくよく考えてみたら「これがやりたい!」という目的はほとんどありませんでした。

ドイツという国を選んだのも、「あの試験に合格した奴らが英語圏に行くなら、自分はそれ以外の言語圏で!」と負け惜しみ的な理由です。

 

2.派遣国で何を見つけましたか

「大変なことがあっても、何とかなるだろう」という自信です。

もともと僕は追いつめられないと頑張らない性格なので、ドイツ語の勉強も「毎日ドイツ語の生活に身を置いていれば自然に覚えるだろう」ぐらいに考えていたのですが、これが1か月経っても1ミリも上達しませんでした。まあ、ぜんぜん勉強しなかったので当然なんですが。

さすがに「これはいかん」と焦り、毎日50語を暗記する生活を1ヶ月送ったところ、日常会話程度なら普通にわかるようになりました。これを残りの10か月も続けていれば、今頃はドイツ語でご飯を食べられるようになっていたのでしょうが、日常会話ができるというのは、これはもう追い詰められた状態ではないわけで、それでスッパリとやめてしまいました。残念ですが、たぶんもう一度同じ状況になってもやっぱり10か月も続けるのは無理だと思うので、しょうがないと諦めます。

 

ところで言葉ができるようになると、周囲の対応がガラリと変わります。

僕がドイツにいた当時(1992/93)は外国人排斥を掲げるネオナチが台頭していたときで、ベトナム人やトルコ人の住宅に火炎瓶が投げ込まれて人が死んだりしていました。そうでなくても外国人という、「見慣れない顔つきの、何を考えているかわからない、こっちの常識が通用しそうにないような人間」は警戒されます。これは自然なことです。

でも「言葉が通じる」とわかった瞬間、ヒトの警戒レベルはグンと下がります。「なんだ、けっこう話の分かる奴じゃないか」ということになるのです。そんなわけで、言葉ができるようになると周囲の人たちが親切に接してくれるようになりました。

 

この「外国でひとりきりでも、頑張ってみたら何とかなった」という経験は、その後の自分の考え方に大きな影響を与えます。帰国後は、「とりあえず死ななければ、何とかなるだろう」と思って、いろんなことに挑戦することができました。あと、これは裏を返せば「『死ぬかも』と感じたら、とっとと逃げる」ということなので、危ないことも避けられたのかもしれません。

 

3.ICYEの経験は、今の生活にどう活きていますか

具体的にどう「活きている」と指摘するのは難しいです。「身長が伸びた!」とか「収入がアップした!」とか「美女にモテモテ!」とか、わかりやすい例があればいいのですが、僕の場合どれも実現していないと思います。それでも何かと考えてみると、漠然とした言葉になりますが、「いろいろ広がった」ことでしょうか。

 

ICYEのプログラムでは、日本からだけではなくいろいろな国から交換生が集まります。プログラム後にそうした友達を訪ねて、ICYEに参加しなかったら決して行くことはなかったであろう国を旅行することができました。オリンピックやワールドカップでそうした国の代表を見るととても親しみが湧きますし、悲しいニュースを聞くと心が痛みます。

ICYE参加後は、このように自分が「身内」だとか「仲間」だとか感じられる範囲が大きく広がったように思います。

 

また、ドイツに行く前はネオナチの報道を見て「人種差別は絶対にイケナイこと!」と感じていたのが、実際に現地で多くの情報に触れるうちに「もし、自分が彼らと同じ状況にいたら、同じことをしていたかもしれない」と思うようになりました。人の考えというのは、状況によって全然変わってきてしまうということを自分の身をもって知ったことで、ものの考え方に関する間口が広がったように思えます。

さらに、上の質問で答えたように、「死ななきゃOK」的な考え方をするようになったので、人生の選択肢も広がりました。はたしてそこから「ベストな選択肢」を選んているのかどうかは、まだまだわかりませんが。

 

4.昔の自分にアドバイスするとしたら

ICYEプログラムで過ごす1年間という時間は、長いようでとても短いものです。だって、クリスマスもお正月も、自分の誕生日も1回しか経験できないのですから。だからプログラムに参加したからといって、人生の目的になるような「何か」が見つかるとは限りません。ただ、見つからないことも発見だと思います。トーマス・エジソンが電球を発明するまでに1万回失敗したそうなのですが、彼はそれを失敗とは言いませんでした。

「うまくいかない方法を1万通り発見しただけだ」と。

何かを試してみて「これじゃない!」と感じたら、軌道修正すればいいんです。そうやって何回も「これじゃない!」を繰り返していけば、少しずつ自分の理想とする「何か」に近づいていくんじゃないでしょうか。

 

ICYEのプログラム期間中は、「食う寝るところ」が保障されています。これは失敗をするのに絶好の環境ではないでしょうか。そうでなくとも、「異国でひとりきり」という環境では失敗しないわけがありません。たくさんの失敗をして、たくさんの「これじゃない!」を発見することで、自分の求めている「何か」の方向ぐらいはわかるかもしれません。

ICYEプログラムではずばり「何か」を見つけることはできませんが、自分の人生の方向が見えてくる、そんなコンパスのような存在になれればいいなと思っています。

 

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