【帰国報告ネパール】

【帰国報告ネパール】

島根大学 3年

病院・孤児院/1ヶ月

「ネパールでの体験!」

 

  1. なぜその国を選びましたか?

特に理由はありませんでした。アジアの途上国の中で医療や保健にまつわるボランティアに携わりたかったというのと、どうせなら一番遠くて、どんな国か全く想像できない国に行きたかったということでネパールを選びました。

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  1. どこの地域でどんな活動をしましたか?

始めの2週間はSahid Memorial Hospital というカトマンズの病院で、残りの2週間はHOPAD Nepal という孤児院で活動しました。病院では、朝9時から17時までER(救急救命センター)で基本的に活動してました。そこでは医師や看護師の仕事を見学したり、心電図や血圧測定の補助、血液検査からの診断の仕方を学びました。また、手術室の見学の際に、気道確保の仕方についてレクチャーしてもらいました。病院ではボランティアというよりもインターンとして携わりました。また、孤児院では住み込みで活動していて、朝5時半に起きて子供達を起こしに行き、歯磨きしたり、一緒に宿題をやったり、子供達を学校まで見送った後は他のボランティアと街に遊びに行ったり近所のお家にご飯を食べに行ったり昼寝したり、お世話になりました。夕方になると、子供達を学校まで迎えに行き、家に帰ったら一緒に宿題をしたり遊んだりしました。

 

  1. 他のボランティア/インターンメンバーはどんな人がいましたか?

ネパールではICYE以外にも他の団体を通じてやってきたボランティアと一緒に活動していました。病院ではウクライナ、スペイン、アメリカ、ベネズエラ、孤児院ではフランス、オーストリアから来たボランティアの方と活動しました。

 

  1. 実際に行ってみてどうでしたか?

英語を話すことの難しさを痛感しました。やっぱり言語の壁は高いなぁと思いました。でも、ネパールの方、ボランティアの方がみんな私の拙い英語に耳を傾けてくださったおかげで、日本にいた時の倍は喋れるようになった気がします。あと、病院の患者さんたちは英語があまり話せなかったので、途上国で医療活動をするには現地語もある程度勉強しておく必要があると思いました。実際患者さんのご家族やホストマザーとお話しする時に、一緒にネパール語の指差し会話帳をもってネパール語について教えてもらったことがあって、とても喜んでくれました。言語に限らずその国の文化や歴史を知ることは、現地の方への敬意を示したり、現地の方と仲良くなったりするためにはとても大事なことだと思いました。あと、日本では、顔色を伺いながら相手と会話したり、本音と建前を分けて話したりしていましたが、ネパールでは思ったことをそのまま話すようになりました。それで十分だなと気づいたのもネパールに来たおかげです。

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  1. いちばん感動したこと、いちばん悲しかったことは何ですか?

ネパールの方、他のボランティアの方が事あるごとにハグしてくれたとき、とても感動しました。あと、チトワン国立公園に行ったときに見た雄大な自然、野生動物たちもすごく素晴らしいものでした。あとチトワンの方達はみんな暖かくて優しい人たちばかりでした。悲しかった事は、地震の影響からか、コンクリートの丈夫な家に住んでいる人もいれば、トタン屋根で囲まれていたり、崩れたままの家に住んでいる人もいて、表面的ではありますが貧富の差を目の当たりにした事です。また学校に行かず家の手伝いをしている子供達もたくさん見かけました。家族と一緒に暮らせても学校に行けないのと、孤児院の子達のように、家族と一緒に暮らせなくても学校に行って勉強できるのとでは、どちらが子供達にとって幸せなのか、日本に帰ってきた今でも考えてしまいます。

 

  1. トラブルはありましたか?どうやって解決しましたか?

チトワンでとても仲良くなった男の子がいて、私が日本に帰る前の日に、わざわざバスで10時間かけてカトマンズまで見送りに来てくれた事がありました。ただ、それまでの彼とのやりとりがものすごく大変でした。私が「バスのチケットは取れたの?」「泊まるところはどうするの?」「お金は大丈夫なの?」と色々心配しているのに対して、「よくわかんないけど、君といられればそれで十分だよ!」ととても気楽そうでした。ネパールにBooking.comのようなサイトがあるかもわからなかったし、私も彼もカトマンズの土地勘が全くわからなかったので、現地のボランティアのコーディネーターに、私の住んでるホステルの男子部屋に泊められないか相談したところ、同じホステルは無理でも他の周辺のゲストハウスを紹介してくれたので、そこに泊まるよう彼に説明しました。しかし「何で一緒のホステルに泊まれないの?」となかなか彼は納得してくれなくて、その説得にも苦労しました。私としては、遠いところへ急に行くと決めて、そんな簡単に来られるものなのか疑問でしたし、自分で来るって決めたのなら自分で部屋とか確保してほしいなと、思ってしまい、彼とのコミュニケーションにものすごくストレスを感じてしまいました。結局彼は一泊して、次の日空港まで一緒に車に乗り、最後まで見送りに来てくれました。国際結婚する人って本当にすごいなと思いましたし、現地で生活したって自分の性格はそう簡単には変わらないし、同時に私の心の狭さや、異なる価値観を受け入れることの難しさを今まで以上に痛感した出来事でした。

 

  1. インターネット環境、携帯電話などはどうしていましたか?

日本で事前にWiFi機器をレンタルしていきました。1カ月約1万円弱でした。ホステルの中や孤児院の部屋は基本的にWiFiの環境が整っていましたので、ネパールにいる間も友達や家族とLINEしてました。

 

  1. お休みの日や時間のある時は何をしていましたか?

他のボランティアと一緒にチトワン国立公園やバクタプルなどの観光地に旅行に行きました。モモというチベット料理や、ネパール伝統のお菓子を食べたり、時には瞑想し、時には絵描きさんとお話ししたりしました。とても貴重な時間を過ごすことができました。

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  1. 現地のICYEスタッフはどんな感じでしたか?

私と同年齢くらいの女性が対応してくれました。私の英語リスニング力が無さ過ぎて、誤解を生んでしまったり、何度も聞き返したりしたにもかかわらず、一切怒ったりせず、いつでも優しく話してくれたのでとても助かりました。ICYEの代表の方とは2回会ったくらいで、基本的にはわからないことや困ったことはその女性に相談していました。

10.この経験を次はどんなステップにつなげていきたいですか?

私はまだ臨床医学(実践的な病院実習や、病気の診断など)をまだ勉強してないので、次来る時は臨床医学を勉強して経験を積んでから行きたいと思います。それから英会話の練習を大学の友達としているところなので、英語の勉強も頑張りたいです。あと、ネパール西部の方は、都市部よりも田舎で、宗教や慣習が根強く残っており、女性や子供たちに医療が届いていないのが現状です。それゆえ次来る時は、そこに住んでいる女の子たちや妊産婦たちのケアができればいいなと思っているので、母子保健、公衆衛生はもちろん、ヒンドゥー教やネパールの歴史、文化についてより深く勉強してから、行こうと思います。またネパールのみならず、大学生のうちにもっともっと他の国にも足を運びたいです。

11. まとめ

ICYEの一番の魅力は、やはり現地の方々と同じ生活をして、実際にネパールの方のみならず他の外国から来たボランティアと交流しながら活動できる点だと思います。ネパールは日本とは、住む環境も、言葉も、文化も、宗教も、何もかも違います。日本よりも不便に感じる瞬間もあるかもしれませんが、日本には無い素敵なところもたくさんあります。雄大なヒマラヤ山脈の景色、地球はまだ人類のものでは無いと思わせるような広大な森林や野生動物、そしてそこに住む陽気で暖かなネパールの人々…できることなら、もっとたくさんネパールにいたかったです。日本での大学生活をしっかり過ごし、さらに成長して、ネパールの方々に恩返しできたらいいなと思います。

これから挑戦する皆さん、色々と困難なこともあると思いますが、その国にはその国にしか無い素敵なところが必ずあるはずなので、その素敵なところを見つけていきながら活動していってほしいなと思います。どうか皆さんの挑戦が素晴らしいものとなりますように。

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