【帰国報告ロシア】

【帰国報告ロシア】

昭和薬科大学 4年生

Volshebnikiケアセンター 1ヶ月

「憧れのロシア」

1. なぜその国を選びましたか?

幼い頃からロシアに憧れを感じており、人生初の海外はロシアと心に誓っていました。薬学部では、4年生からインターンシップなどに参加し、5年生から本格的に就活を始めます。そんな中私は、この夏しかボランティア活動に費やす長期の休暇は得られないだろうと思い、日本の外に出て、価値観の見直しや新たな経験を得たいと考えました。私にとってそれは、インターンシップよりも大切な事でした。そして冒頭に述べたように、行くなら絶対にロシアへ、と決めていたのです。

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2. どこの地域でどんな活動をしましたか?

ロシア、母なるヴォルガ川沿いの都市サマーラで活動をしました。ICYEロシアの名称はLastochki、派遣先の施設名はVolshebnikiです。幼い子供から中学生くらいの子供、障害のある子供や、両親が仕事で帰宅の遅い子供など、様々な子供達に義務教育前の先取学習や、算数、読み書き、学校の宿題のフォローや英語会話教室など、教育関係を幅広く対応している施設です。スケジュールの内容は生徒や保護者の要望、またその時の子供の人数や担当の先生の采配によってフレキシブルに変化しますが、基本的には1時間単位のクラス編成で、土日は休みとなります。施設はサマーラ市内に2箇所あり、片方は午後からの運営でした。

 

3. 他のボランティアメンバーはどんな人がいましたか?

Volshebnikiへのボランティアは私1人だけでした。Lastochkiの運営を直接手伝う活動に参加されていた方、ロシアの木造建築の修復作業に従事されていた方など、他の方の存在は知っていましたが、顔を合わせる機会があったのはオーストリアから来た男女の2人のみでした。たまたま彼らはVolshebnikiにLastochkiのホームページのための写真を撮りに来たのです。話を聞いていると、ロシアへのボランティア参加はドイツ語圏の国や、東欧(ポーランドなど)からの参加が多いとの事でした。

 

4. 実際に行ってみてどうでしたか?

まず建物が大きく、道が広い!あまりに雄大で、自分が小人になったかのようでした。日本の感覚だと5分くらいで着くかなと思いきや、建物の大きさに錯覚を起こしていただけで、実際には二倍はかかったりします。色々と縮図がおかしい!と思ったほどです。考えてみれば、日本の街があまりにギュウギュウに全てを詰め込み過ぎているのだとも思いますが。そしてロシアの夏はとにかく快適でした!私はアトピー持ちなのですが、湿度も丁度良いため日本にいる時よりもはるかに症状が落ち着きました。陽射しの有無で気温が変化するため、木陰は涼しく夜は肌寒いほどで、エアコンは不要です。寒ければ窓を閉め、暑ければ窓を開けて風を入れる。野菜も果物も新鮮で、一部痛みや虫食いがあっても当たり前のようにスーパーや市場に並び、価格は安く新鮮。街路に等間隔でゴミ箱が並ぶため、ポイ捨てされたゴミなどは見当たらず、大きな公園があちこちにあり、緑も豊かです。日本と比べれば、道路のあちこちがヒビ割れていたり、バスの揺れが激しかったり、トラックの排気ガスの色が黒かったり等々ありますが、それでも本当にゆったりと生活できました。勿論それは、私自身がホストファミリーやメンター、モスクワに住んでいるロシア人の知人など、人の縁に恵まれたという部分も大きいです。全ての縁に感謝しています。そして私のロシアに対する憧れは、いまや親みに変わりました。とはいえ、困った事が無かったわけではありません。一応必要最低限のフレーズや単語は学習していたつもりでしたが、実際の会話は口語が主体です。さらに発音や聞き取りに苦労し、言語の壁は厚かったです。子供達の交流は折り紙や絵などを通し言語を超えて交流する事が可能でしたが、やはり施設の先生方やホストファミリーの御両親と生活を共にする上で、言語を扱いきれないというのはとても大変な事でした。正直、翻訳アプリや辞書が無ければかなり苦しかったと思います。とはいえ、勉強する時間をしっかり取る余裕も無く、その代わりと言ってはなんですが、私は絵や折り紙などでコミュニケーションを深める努力をしました。日本のおもちゃや遊びで相手を楽しませる事、文字と絵で、話す事は出来なくてもニュアンスだけでも日本の文化を相手に伝える事を目指しました。会話の数は少なかったですが、密度としてはなかなかの情報を伝える事が出来たと思っています。因みに私はロシア語の文字自体は読めるため、案内板などは意味さえ調べれば困ることもなく、iPhoneにキーボードもインストールしてあったので、いざとなれば相手に打ってもらい確認する事も可能でした。ところでロシアの英語はイギリス英語が主流で、アメリカ英語を主に学んで来た私としては苦労する場面がありました。しかしそれ以上にロシア独特の訛りの英語が聞き取り辛く、何故そんな音になるのかと不思議に思っていたらロシア語と英語のアルファベットの問題があったりなど、個人的には面白い発見もありました。Lastochkiの方曰く、いまだ英語を話せる人物がロシア国内ではとても珍しいとの事で、意思疎通に外国人が苦労するのは仕方の無い事のようです。

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5. いちばん感動したこと、いちばん悲しかったことはなんですか?

野菜や果物が安い!新鮮!チーズや乳製品が美味しい!パンが美味しい!スイカが大きくて美味しい!と、食の感動が凄かったです。また、ロシアの人々も一見強面で無表情に見えますが、打ち解けてしまえばとても優しくて優しくて、思いやりの深い人達!本当にいっぱい助けて頂きました、感謝してもしきれません!子供達も可愛くて、好奇心旺盛で、個性豊かで、もっと色々な事を話したかったです。本当に、私のロシア語が初心者レベル以下な事が悔やまれます。次はロシア語を日常会話レベルにまで上げて、必ずまた会いに行きます!という思いでいっぱいです。

 

6. トラブルはありましたか?どうやって解決しましたか?

トラブルの内容は大きく4つに分けられます。1つめは、入国出国手続きなど、ロシア特有の法的手続きへの下調べが少し甘かったが故に起きたトラブルです。2つめは、同じICYEとはいえ、各国独自の方針で運営されており、独自の用語の使い方など、こちらの思っていた辞書通りの意味とは違うが故に起きてしまったトラブルなどがありました。3つめは、やはり私自身がロシア語をうまく扱えないが故に起きたコミュニケーション面のトラブルです。そして最後は、私自身の性格が災いする部分です。凝り性で変なところで神経質、その一方で妙なところで楽観的、というより危機感に欠けるところです。しかし、これは日本でも言える事なので、結局どこへ行っても変わらないな、とある種の悟りを得た気がします。起きたトラブルへの対処ですが、1つめは今回運が味方をしたので切り抜けられました。次から気をつけます。2つめと3つめは、メンターやLastochkiの役員の方に相談する事で解決できました。

 

7. インターネット環境、携帯電話などはどうしていましたか?

ロシアは国土が広いため、グローバルWi-FiよりもSIMカード購入の方が圧倒的に便利だと下調べをしていたので、手持ちのiPhoneをSIM解除し、ロシアでSIMカードを購入し使っていました。向こうのSIMカードはプリペイド型なので、足りなくなったらお店や、ホストファミリーに頼みネットからチャージして貰っていました。

 

8. お休みの日や時間のある時はなにをしていましたか?

メンターとサマーラ市内のイベントに出かけたり、ホストファミリーと一緒に街中を歩いたり、家で日本料理やロシア料理を作ったりしていました。ホストファミリーに4歳の女の子がいたのですが、その子と折り紙の紙飛行機で遊んでいた時間が一番長かったようにも感じます。因みに折り紙は、紙飛行機や羽ばたく鳥など、折った後も遊べるものが好評でした。特に紙飛行機は幼い子供達には男女関係なく大好評でした。

 

9. 現地のICYEスタッフはどんな感じでしたか? 

実はあまり接する機会が無く、詳しい事は分からないです。とはいえ、これは他国も共通かと思うのですが、日本のような手取り足取りのサービス、至り尽せりのお持て成しは期待してはいけない、という事です。分からなければ聞くということです。日本と違って、それくらい分かるでしょ?みたいにはなりませんから、他国で遠慮という言葉は脳内の辞書から消すべきだと思いました。

 

10. 改善した方がいいと感じた点はありましたか?

何だかんだ一番危うかったトラブルが、航空での入国出国手続き関係でした。更に私は自身の大学のスケジュールが非常にタイトだった為、出国前のオリエンテーションは試験と重なり参加できず、そういった確認をきちんとICYEの方と行う機会を逃していました。ロシアはビザ手続きも複雑で面倒なので、こういった諸々を含めると、ロシアの法的手続きの部分ももう少し事前準備、下調べをしておけばよかったと思います。

 

11. この経験を次はどんなステップにつなげていきたいですか?

実は私は、1人で海外に行くのはこれが初でした。一度だけ家族と共にシンガポールに行った事がありましたが、あまり記憶に残っておらず、日本から他の国に渡る、という事がどういう事か、その意味をいまいち認識しきれていなかったように思います。構えすぎて臆病になるのは良くないですが、楽観視しすぎて事前準備に穴があったり、計画性に欠けたりするのも問題なので、今後日本での生活も含め、もう少し先を見据えた行動を取れるようにしたいと思いました。

 

12. まとめ

ロシアで生活する中で、ホームシックならぬ、日本文化への恋しさが溢れて止まりませんでした。日本のことを質問される度、神仏混淆や風物詩の感覚、日本の美術、武術、芸能、歴史など、その奥深さや独自性、他にはない味わいを考えさせられ、さらに自分がいかに日本での暮らしを当たり前のものとして尊んでこなかったかを知りました。カナダへの留学経験のある弟からは、海外に行くと価値観が変わると言われましたが、私自身はむしろ、海外に対して変に期待したり憧れる感覚が無くなり、多少の差はあれど、どこも同じという価値観に落ち着きました。そういう意味では価値観が変わった訳ですが、何か大きな価値観の変革を得た、というのではありません。文化や風習といった部分はさておき、基本的にはどの国でも、色々な人がいて、自分と全く同じ人は誰1人として存在せず、だからこそお互いを知って歩み寄ることが大切であり、また同時に自分の善意が相手にとって益かどうかは分からず、あえて触れぬ方が上手く行くこともあるという、そんな当たり前のことを改めて実感した、という感覚です。

 

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