初海外!

初海外!

国際基督教大学 2年生 フィリピン小中学校/1か月

1.なぜその国を選びましたか?
英語の練習ができる、かつ航空券が安いところという条件でフィリピンを選びました。

2.どこの地域でどんな活動をしましたか?
セブ島の私立学校で数学と体育を教えていました。数学は、4・6年生の授業時はアシスタントとして、8・9・10年生の授業は自分がメインとなってとして教えていました。空きコマや放課後の自由時間に、学校から借りた数学の教科書をもとに英語の数学用語を暗記したり、授業のリハーサルを行っていました。当然のことながら最初は任せてもらえる授業数も少なかったのですが、幾度もの練習を重ねた授業でしっかり数学を教えられることを示せてからは、参加できるクラス数も増えていきました。体育の授業では主に補助係として入ることが多かったですが、時折授業を任せてもらった際は、大縄や馬飛びなどの日本っぽいものを行いました。

小学校の子ども達

3.他のボランティアメンバーはどんな人がいましたか?
同い年の日本人がいて安心でした。

4.実際に行ってみてどうでしたか?
日本と異なった教育制度をみたいという理由で教育のプログラムを選びました。実際に現地を体験してみて最初に感じたことは、日本と比べるとあまり良いとは言えない学習環境であるという事でした。例えば先生1人につき生徒が60・70人であったり、生徒数に対して教科書や椅子が足りていないので、2人で1つの教科書を見たり、窓枠に腰かけて授業を受けなくてはならない生徒がいたり、働かなくてはならないため、小中学校を休学しなくてはならない生徒も少なくはなかったりという状況でした。

しかしながら一方で、生徒の親と学校が協力し合えているとも感じました。現地の公立学校の先生の話によると、PTAの会合における保護者の出席率は9割を超えており、学校で問題を起こした生徒の家庭を教員が訪問した際や保護者を学校に呼び出した際に、断られることは一切ないそうでした。親までもが教育というサービスの受け手となっている日本には失われつつある、学校と家庭とで子供を教育していくという姿勢が見受けられました。

5.いちばん感動したこと、いちばん悲しかったことは何ですか?
毎朝四時に必ず教会に礼拝しに行くほど敬虔なキリスト教信者であったホストマザーと、その宗教観について心ゆくまで話し合うことができたことが最も感動した体験でした。長い日は夕食後3時間ほど付き合ってもらうこともありました。当初は、なぜキリスト教信者は聖書に絶対的な信頼を置いているのかという、今となっては的はずれな疑問を追いかけて質問を繰り返していました。しかし、その人生を孤児や貧困児の支援に捧げるという私にとっては、奇跡のような生き方を遂行している彼女が、この生き方は彼女一人ではなく神様と一緒にいたから可能だったと語るのを聞き、彼女の生き方の美しさに触れることができたことが最も印象に残っています。

悲しかったことは、小学校に入ったか入っていないかくらいの年齢の子供が観光客にお金をねだっていたことです。そういった光景は当然観光地で多く見られるのですが、華やかな街並みと今を生きることに必死な彼らの様子とが強烈な対比は非常に心苦しかったです。

フィリピンのホストファミリー

6.トラブルはありましたか?どうやって解決しましたか? 
風邪を引いてしまいました。日本から風邪薬を持参していたので助かりました。現地のよくわからない薬を使うのは少し怖かったので。

7.インターネット環境、携帯電話などはどうしていましたか?
日本からWiFiをレンタルしていきました。しかし、現地でsimカードを買ってしまったほうがはるかに安上がりだったと思います。

8.お休みの日や時間のある時は何をしていましたか?
一時間半もバスに乗ればセブ市内に行ける距離だったので、基本観光していました。ジンベイザメと一緒に泳げたことと、現地の博物館で、第二次世界大戦中に日本によって占領されていた時の資料を見られたことが印象深く残っています。

フィリピンジンベイザメ

9.現地のICYEスタッフはどんな感じでしたか?
非常にフレンドリー。研修会のはずなのに、お勧めのレストランに連れて行ってくれました。日本語は全くできないですが、訛りのない聞き取りやすい英語を話されていたので、十分に意思疎通ができました。

10.行く前と、帰ってきた今とで何が変わりましたか?
正直たった一ヶ月の滞在では大きく変わることは難しいと感じました。それでも何か挙げるとすれば、人と比較することが少なくなったということでしょうか。というのも、比較が不幸を引き起こしうると感じたからです。例えばシャワーは水だし、お風呂もないし、エアコンもないし、断水もたくさん起こるし、そのような環境に私は、結構なストレスを感じていましたが、他方で他国からの移住者含む現地の人々はそれを意に介することなく生活していました。

思うに彼らと私との違いは、そこの生活にどれほど慣れているかというよりは、ここでの生活を他の場所と比べているかどうかにあった気がしています。私がフィリピンの生活にストレスを感じているとき、そこには必ず日本での生活のイメージが付随していたからです。この経験を通して後には、比較して落ち込むことの無意味さをより一層理解できたと思っています。しかしながら前述の通り、一ヶ月という期間は大きく変容を遂げるには私にとっては短いすぎたと感じています。

フィリピンの海

11.まとめ
当初の他国の教育制度を見てみたいという目的の通り、フィリピンの学校を複数視察し、校長先生ともお話させていただけたのは、非常に刺激的な体験でした。しかしながら、最も実りある体験だったと感じていることは、教員として勤務した経験ではなく、言語が違う、文化が違う、なにもかもが自分と異なるフィリピンの人々と、その価値観に関して多くのディスカッションを重ねられたことでした。ただ他人の人生観を知りたいと思い会話していましたが、それは同時に自分自身に対する理解を深める最適の機会となりました。この一ヶ月により多くの意味を持たせていけるように、これからの生活をおくって行きたいと感じています。

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